聖ピオ十世公教要理詳解
     カトリックの教えとその主な部分
                    護教の盾より
  使徒信経の第一箇条
父なる神と創造
「われは天地の創造主、全能の父なる天主を信ず」という第一箇条は何を教えていますか。
使徒信経の第一箇条は、神は唯一、全能で、天地万物をお造りになったことを教えています。
どのようにして神の存在を知ることができますか。
神の存在は、理性の働き、すなわち推理によって知ることができるだけでなく、信仰によって確認することができます。
なぜ神は父であると言われるのですか。
神が父であると言われるのは次の理由によります。
1.神がお生みになった三位一体の第二のペルソナである御子の父であるから、
2.神御自身がお造りになり、保ち、つかさどっておられる人間の父であるから、
そして最後に、
3.恩恵によりすべての良い信者の父であるからです。
それゆえ、信者は神の養子と呼ばれます。
※ペルソナとは、知恵と自由意志を備えて独立しているものです。
なぜ「御父」は三位一体の第一のペルソナですか。
「御父」は他のペルソナから出る御方ではなく、御子と聖霊との源ですから、三位一体の第一のペルソナなのです。
「全能」とはどんなことですか。
「全能」とは、神がお望みになることでおできにならないことはないという意味です。
神は罪を犯すことも、死ぬこともないのになぜどんなことでもおできになると言うのですか。
罪を犯すことや死ぬことは能力の顕われではなく、その欠如であって、全く完全な神には見出し得ないものですから、罪を犯すことや死ぬことがなくても、神はどんなことでもおできになると言うのです。
「天地の創造主」とはどういうことですか。
「創造する」とは、「無」から有を生じさせることです。神は無から天地万物を全てお造りになりましたから、天地の創造主と言います。
世界は「御父」だけの創造になるものですか。
世界は三位一体の三つのペルソナによって造られました。三位一体の一つのペルソナが被造物に対してお働きかけになるときは、他の二つのペルソナもひとしく同じ働きをなさるのです。
しかし、なぜ天地の創造が特に「御父」に帰せられるのですか。
神の三つのペルソナはいずれも全能、全知、全善ですが、全能は御父の、全知は御子の、そして全善は聖霊の特性とされていますから、神の全能の顕われである創造は特に「御父」に帰せられています。
神は世界とお造りになったもの全てを主宰しておられますか。
神は無限の善性と知性によって世界とお造りになった全てのものを保ち、かつ主宰しておられます。そして神が望み、お許しにならない限り何事も起こりません。
なぜ、「神が望み、お許しにならない限り何事も起こらない」と言うのですか。
神がお望みになり、お命じになることもあり、また、たとえば罪のように妨げずにお許しになることもありますから、「神が望み、お許しにならない限り何事も起こらない」と言います。
なぜ神は、罪が存在することを許されるのですか。
人間が神に与えられた自由を濫用しても、神はそこから善を引き出し、御自分の慈悲や正義をますますあらわすことがおできになるので、神は罪の存在をお許しになるのです。

天使について
神のお造りになったものの中で最も高貴な被造物は何ですか。
神がお造りになったものの中で最も高貴な被造物は「天使」です。
天使とは何ですか。
天使とは知性を備えた純粋な霊です。
神は何のために天使をお造りになりましたか。
神が天使をお造りになったのは、天使が神を崇拝し、神に仕え、永遠の幸福にあずかるためでした。
天使はどんな姿・形をしていますか。
天使は人間の感覚でとらえることのできる姿・形を持っていません。天使は純粋な霊ですから、体に結ばれていなくても存在できるからです。
それでは、なぜ天使に姿・形を与えてあらわすのですか。
天使に姿・形を与えてあらわすのは、① 私たちの想像力を補うため、② また、聖書にあるように、何度もこのような姿・形をして人間の前に姿を見せたからです。
天使はみな神に忠実でしたか。
天使がみな神に忠実であったわけではありません。それどころか、ある天使は高慢心から神と同等になろうとし、神から独立しようとしました。この罪によって、これらの天使たちは永久に天国から追放され地獄に落ちてしまいました。
天国から永久に追放され地獄に落ちた天使は何と呼ばれますか。
天国から永久に追放され地獄に落ちた天使は悪魔と呼ばれ、その首領はサタンあるいはルチフェルと呼ばれます。
悪魔は人に害を与えますか。
悪魔は神のお許しがあれば、人の霊魂とからだに大きな害を与えることができます。特に人を罪におとし入れようと誘惑するのです。
なぜ悪に誘うのですか。
悪魔は人をねたみ、人間が永久にほろびることを望んでいます。また神御自身と人間に反映されている神の似姿を憎んで、人を悪に誘うのです。
神はなぜ誘惑をお許しになりますか。
神が誘惑をお許しになるのは、私たちが神の恩恵に助けられ、誘惑にうち勝ち、諸徳を実践して、天国に入るのにふさわしい人間に成長するためです。
どうすれば誘惑にうち勝つことができますか。
警戒し、祈りと犠牲を行なうことによって、誘惑にうち勝つことができます。
神に忠実に従った天使のことをなんと言いますか。
神に忠実に従った天使のことを、善い天使、主の御使い、または単に天使と言います。
神に忠実に従った天使はどうなりましたか。
神に忠実に従った天使は、さらに恩恵にかためられ、常に神を直接あおぎ見て、永遠に神を愛し、賛美しています。
神は天使を使者としてお使いになりますか。
神は天使を御自分の使者としてお使いになりますが、特に私たちの守護の天使としてお送りになります。
「守護の天使」に特に祈るべきですか。
「守護の天使」には特に祈り、敬い、助力を乞い、その勧めに従い、保護に感謝しなければなりません。

人間について
神が地上に置かれたもののうちもっとも貴い被造物は何ですか。
神が地上に置かれたものの内最も貴い被造物は人間です。
人とはどういうものですか。
人とは、霊魂とからだとから成る、理性を備えた被造物のことです。
霊魂とは何ですか。
霊魂とは、知性と意志とをもち、神を知り永遠に所有することのできる霊です。それゆえ霊魂は人の最も尊い部分です。
霊魂を見たりふれたりすることができますか。
霊魂は霊ですから、見たり、ふれたりはできません。
人の霊魂はからだと共になくなりますか。
人の霊魂は絶対になくなりません。信仰によっても理性によっても霊魂の不滅を証明することができます。
人は、自由に行動することができますか。
人は、自由に行動することができます。だれでも、あることをすることも、しないでおくこともできると感じます。また、あることのかわりに別のことをすることができると思っています。
例をあげて人間の自由について説明してください。
人は、わざと嘘をつく時、心の内で嘘をつかずに黙っていることもできたし、真実を言うこともできたと気づきます。
なぜ人間は神の似姿、神にかたどられたものであると言われますか。
人間の霊魂は霊的、理性的なもので、その働きは自由で、神を知り、神を愛し、永遠の幸福をたのしむことができます。しかし、このような特長は、主の無限の偉大さの反映ですから、人間は、神の似姿、神にかたどられたものと言われるのです。
神は人祖であるアダムとエヴアをどのような状態に置かれましたか。
神はアダムとエヴァを無罪の状態、恩恵に満ちた状態に置かれましたが、まもなく人祖は罪を犯してこの状態から堕落してしまいました。
主は人祖に無罪の状態と成聖の恩恵のほかに特別のたまものをお与えになりましたか。
主は無罪の状態と成聖の恩恵のほかにも人祖とその子孫に特別のたまもの、すなわち「完全性」、つまり感覚を理性に完全に従わせること、「不死性」、またあらゆる苦痛やみじめさからの「免除性」、そして人祖の状態にふさわしい「知性」をお与えになりました。
アダムはどんな罪を犯しましたか。
アダムは高慢と重大な不従順の罪を犯しました。
アダムとエヴアはどんな罰を受けましたか。
アダムとエヴァは、神の恩恵と天国に入る権利を失い、楽園から追放され、死も苦しみも免れ得ないものになりました。
アダムとエヴアが罪を犯さなかったならば、死をまぬがれていたでしょうか。
アダムとエヴァが罪を犯さなかったならば、この世で幸福に暮したのち、死ぬこともなく神の手によって永遠の生命に入ることができたでしょう。
このような賜物は本来人間に備わったものでしたか。
このような賜物は本来人間に備わったものではなく、神が全く無償でお与えになった超自然的なものです。したがって、アダムが神の掟に背いたとき、神がアダムとその子孫からこれらの賜物を取り去られても不正なことではありませんでした。
この罪はアダムだけのものでしたか。
この罪はアダムだけのものではなく、私たちの罪ともなりました。アダムは人阻として罪を犯したので彼自身が自発的に犯した罪であってもすべての子孫に繁殖によって伝わりました。したがってすべての人は原罪をもって生まれます。
どうして原罪はすべての人間に伝わりますか。
神はアダムが従順であることを条件として、アダムを通して人類に成聖の恩恵と他の超自然のたまものをお与えになりました。しかし全人類の頭であり父であるアダムが神に背いた結果、人間の本性が神に反抗するようになりました。それで神の恩恵とその他のたまものが剥奪され、神に反抗する態度をとったままの人間の本性がアダムの子孫みなに伝えられるのです。
原罪の及ぼした害は何ですか。
原罪によって、人は恩恵を失い、知恵が暗み、心は悪に傾くようになり、この世のさまぎまな災いに苦しみ、死も免れなくなりました。
人はみな原罪をもっていますか。
聖母マリア以外、人はみな原罪をもっています。救い主の功徳を予見なさった神の特別の御計らいによって、聖母マリアは原罪を免れました。
アダムの罪ののち、人は救いを得ることができましたか。
アダムの罪の後、神が慈悲をお恵みにならない限り、人は救いを得ることはできませんでした。
神が人類にお恵みになった御慈悲とは何ですか。
神が人類にお恵みになった御慈悲とは、アダムに救い主の到来を約束されたこと、そして時が満ちると、悪魔と罪の奴隷となった人間を救うために救い主をおつかわしになったことです。
約束の救い主とはどなたですか。
使徒信経の第二箇条にある通り、約束の救い主とはイエズス・キリストのことです。