聖ピオ十世公教要理詳解
カトリックの教えとその主な部分
護教の盾より
使徒信経の第十二箇条
最後の箇条「おわりなき命」では何を教えますか。
使徒信経の最後の箇条では、この世の命を終えたのちにも、来世があり、選ばれた人たちは永遠のしあわせを楽しみ、罰せられて地獄におちた人々には永遠の苦しみが続くことを教えます。
天国の幸福がどんなものか、いま理解できますか。
栄光にみちた、天国の幸福がどんなものかを、いま理解することはできません。天国の幸福は、私たちの限られた理解力のはるかに及ばないことである上、天国の善とこの世の善を比較することはできないからです。
選ばれた人々の幸福とはどんなものですか。
選ばれた人々の幸福とは、すべての善の源である神を永遠にあおぎ見、愛し、所有することです。
罰せられた人々の不幸とはどんなものですか。
罰せられた人々の不幸とは、永遠に神を見ることができず、地獄で永遠の苦しみを受けることです。
天国の恵みと地獄の災いは霊魂だけのものですか。
今のところ天国や地獄にいるのは霊魂だけですから天国の恵みや地獄の災いを受けるのは霊魂だけです。しかし、体の復活のあとでは、永遠の幸福も、永遠の苦しみも霊魂と体が共に受けることになります。
天国の幸福は選ばれた人々みなに、また地獄の苦しみは罰せられた人々みなに、それぞれ同じですか。
天国の幸福は選ばれた人々みなに、地敬の苦しみは罰せられた人々みなにとってそれぞれその本質と永遠性においては同じですが、一人一人の徳、不徳に応じて、いずれにも程度と段階の差があります。
使徒信経の終りにある「アーメン」ということばは、どんな意味を持っていますか。
祈りの終りにある「アーメン」ということばは、「そうでありますように」という意味です。従って、使徒信経の終りにある「アーメン」は、「上に述べた通りです」という意味を表わし、言いかえれば次のようになります。「この十二箇条に述べられていることはすべて真実であることを信じ、実際に目で見ているより確かをものとして信じます。」