ミ サ 聖 祭
                      修徳文庫 16
                著 者  R・プリュス
                共 訳  小田部胤明 ・ 上野和子
                出版社    ドン・ボスコ
                再版発行 1962年8月8日


                    序   文
 ミサほど、宗教的思索に美しいテーマを提供するものはない。なぜなら、 ミサは十字架上のキリストの犠牲(いけにえと振り仮名していないときは、ぎせいと読むこと)を再現するものであり、地上にミサ以上偉大なものはないからである。
 われわれは、祈禱を準備し、裏づけるために、色々の題目を三十ここに選んだが、
 ---八日間の心霊修業に用いるため、毎日幾つかずつ默想してもよい。
 ---一カ月間の心霊修業に用いるため、毎日一つの題目だけに限ってもよい。
 われわれの目的は、キリスト教的生活の中心であるミサ聖祭の意義を深めることであって、司祭が自分のため、また牧する羊たち (信者たち)のために本書を用いることができるのみならず、一般信者、修道者らもこれを用いることができる。
 ミサは驚くべき深遠な意味を持っているのであるから、それに与る者は、司祭も一般信者も、 それに沿って行く素晴らしさを、日ましに深く理解すべきが當然である。                   聖イグナチオによる三十日間の心霊修業は四週間に分けられている。われわれも、その分け方を採用して、聖イグナチオの洞察したところから示唆を受けると良いと思う。即ち(第一週に)自己の改善から出発し、(第二週には) 聖主の模範を學び、(第三週には) 十字架、(第四週には)栄えの玄義を黙想することに しょう。

          第 一 週
1. ミサを一瞥して
2. 祭壇の下の祈りの精神
3. 福音と祭壇
4. 動作と色彩
5. ミサと死の思索
6. ミサと痛悔の精神
7. ミサと聖性
8. 心を繋げよ

 

 

       第一課 ミサを一瞥して
 最初から、特に大事な次の二つの眼目について默想し、それに對する理解を深めるように努めよう。細部の検討は後廻しにして、ハッキリした見通しを興えるものから取りかからなければない。
  ――ミサは静止的な祈りであるよりは、むしろ能動的に行うもの(アクション)である。換言すれば一種のドラマの形式をとった祈りである。
 ――ミサは個人的な表敬ではなく、集團的な禮拜で、大勢で行う行爲である。

   一、ミサは能動的で、ドラマである
 一、ミサは祈りである以上に犠牲(いけにえ)である。しかもそれだけでなく、禮拜、表敬、祈禱の価値を 具えた犠牲である。つまり最上の祈りとなるのである。
 わが子イザアクを献げることを承諾したアブラハムの動作を試みに思い浮べてみよう(創世記22章)。彼は不動の姿勢で祈りを捧げたのではなく、それは不思議な行動の展開であった。見よ、アブラハムは犠牲に必要な薪や刀を用意する。屠る場所にイザアクを連れてゆく。疑いの陰一つなく信賴し切ったわが子の質問に耳を傾ける。むごくも正に一刀のもとに・・・・・・
 祭壇でも、これに似たことが繰りかえされる。そこでは至聖なる神の正義に基く要求が全體を支配している。しかもその要求は、聖子(キリスト)の愛によって永遠に承諾されたのである。聖子は燔祭の要具(犠牲の手段)を準備し給う。御自身そのものを犠牲(いけにえ)として聖子の御名において聖子と共に(聖父)捧げる職權を、司祭に委ねつつ。
 二、祭壇では勿論、血は流されず、目に明らかに映ずるものもない。十字架上の犠牲が眼前に再現されていることをわれわれに示すものは、ただ信仰だけである。しかし、犠牲は厳然たる實在であって、否定できない。われわれは、心ゆくまで、それを観想しよう。
 トリエント公會議(1545年一1563年)は、その宣言書中に次のように断言している。
 「われらの神にしてわれらの主なるイエズスは、われらの永遠の贖いを齎すために、死をもいとい給わず、十字架なる祭壇にて、御父に唯一度御自身を捧げ給うたとはいえ、その御死去によってその司祭職が断絶することを欲し給わなかった。かくて、敵にわたされんとする夜の最後の晩餐にて、聖主は最愛の淨配なる教會に、人間性(われらの本姓)の要求に適合した可見的な犠牲の祭を残し給うたのである」
 「イエズス御自身、パンと葡萄酒の形色のもとに御體と御血を、神なる御父に捧げ給うた。そしてパンと葡萄酒の象徴のもとに、主は御體と御血を使徒に糧として興え給うた。この時、主は使徒を新約の司祭に任じ、そして御體と御血を捧げることを、使徒、並びに司祭職における使徒の後継者に命令し給うたのである」
「このミサにて行われる聖なる犠牲のうちには、十字架上にて唯一度、血を以て御自身を捧げ給うたその同じキリストが含まれており、血を流さずして犠牲(いけにえ)にせられるのである」                              この宣言以上に簡潔に、ミサの實體そのものを良く説明したものは、恐らく他にはないであろう。
  
      二、一個人の祈りでなく集團の禮拜
 一、ミサとはイエズス・キリストを中心にした家庭的集いである。と云えば、この點につきミサのハッキリした観念を得られるであろう。
 聖主が始めてこの聖祭を制定し給うたのが晩餐中であり、形色(外観)としてパンと葡萄酒とを選びうたという事を見ても、ミサが大勢で協同であずかる饗宴であるということがハッキわかるのである。
 ミサ中に信者たちは一緒に、或る幾つかの動作を行い、一緒に或る幾つかの態度をとることが要求されている。つまり一緒に腰を下したり聞いたり起立したり頭をさげたり、自分の身に十字を切ったりしなければならない。一緒に、ミサに仕える侍者の言葉に合せたり、歌ミサの場合な合唱したりすることが望ましい。一緒に、一人残らず聖体を拝領するのが望ましい。或る著述家はこう云っている。「饗宴に列席しながら、愛饗にあずかる(一緒に食事する)のを拒む者は、一體何と人から云われるだろうか」と、
 二、初期キリスト教時代には、聖祭に招かれたのは集會全體(エクレジア)であり、止むを得ない理由でもない限り信者がそれにあずからない事は考えられなかった。集會に属する者全部が、幼児も含めて、一體となってキリストの御體と御血を拝領したのである。
 初期キリスト教徒にとっては、聖體拝領によって、個人個人の信者がキリストに一致するとうことよりも、贖われた人類の頭なるキリストのそばにすべての信者が一致することが重視さていた。
 三、當初は司祭職に叙品された者全部が主日に共同聖祭 concelebration の形でただ一つのミサを行うのが慣習であったが、後世、司祭の人數がふえるに従ってミサの數も多くなって来たため、その習慣は次第にすたれてしまった。つまり司祭が個人個人でミサを捧げることができるうになったのである。大ミサ(荘厳ミサ)は今日に至るまで続けられていることは勿論であるが、大抵の信者は、どちらかと云えば、大ミサのような一層公式な共同祈禱において一致するよりも、簡単な讀誦ミサ(低誦ミサ)にあずかる方を好むようになって来た。
 云うまでもなく、ミサをして「集團的」たらしめるものは、ミサの荘厳さではなく、むしろミサにあずかる人の心構えである。即ち、大ミサにあずかっても全教會との一致を目指さなければ集團という意義は全くなくなってしまうことがあり得るし、反對に、狭い禮拜堂の私擧ミサのような、讀誦ミサにあずかっても、その意向のうちに全教會を包含しているなら、その人は、大ミサにあずかっているときよりも一層普遍的な禮拜をなしていることになる。
 なお、客観的な見地から云えば、まことの信者は、居住地を管轄する聖堂で行われる公式なミサに出るのが當然である。
 四、しかし、或いは次のように云う人もあろう。ミサは、われわれも一役演するドラマであるより、むしろ、われわれがただ観衆として見ている見世物のような感じが強くないだろうか?司祭はただひとりで祭壇に昇り、信者に背を向けているではないか? 司祭は司祭で自分の受持ちの祈りを唱えているし、信者は信者で或いはロザリオを唱え、或いは祈禱書を讀んでいるではないか、と。
 起原に遡れば、ミサは饗宴にほかならなかったから、その主人たる司祭は、客の信者たちと同一の方向に向っていたのである。後世ミサが獨自の形式をとり、どこでも大體同じような形になったときに、司祭は信者と向い合いに顔を合せるようになった(ローマの聖ペトロ大聖堂では今日でもそうしている)。更に降ってから、便宜上、司祭が信者に背を向けることになったのである。しかしながら、式の主な部分は鈴で合図されるし、少し注意さえすれば、われわれは司祭の動作に連れて祈りを進めてゆくことがむずかしくはないのである。
聖フランシスコサレジオ或る女修院長に、ミサ中に祈りとしてロザリオを誦することを勧めたことは、この祈りの内容がミサの典禮と大分異っているだけに、一見不可解のようだが、別に深い意味があったわけではなかろう。或いは照明が不完全だったために祈禱書が讀にくかったのかも知れない。それに、現在ほどミサ典書も普及されてもいなかったろうし、何もせずにいるよりはロザリオの祈りを唱えた方が数倍も望ましいことは論を俟たない。ミサにおいては、すべての兄弟と相共にイエズス・キリストの犠牲と一致したいという意向が肝心なのであって、表面的に司祭の祈禱についてゆくということは二の次だからである。
 五、ラテン語の問題が次に残っている。ラテン語は一般の人々にとっては、ますます縁の遠い言語になりつつあるから、これを用いると結局信者から司祭を孤立させることになりはしないか、という問題である。
ラテン語の長所は先ず何よりもその公共性、そしてそれ以上にその普遍性にある。と云うのは、世界中のどこの国でも同じ言葉の祈りが唱えられるからである。それに、段々ミサ典書が普及し、ラテン語に對應した譯文がつくようになってからは、信者が司祭の祈りに正しくついてゆくことも可能になって来た。勿論、一般大衆にとっては、ギリシャ正教會やプロテスタントのように、典禮書が自國語であった方が解りやすいであろう(尤も正教会では通用語ではなくパレオ・スラヴ用語を用いている)。ラテン語がわかりにくいという短所を補うためには、ミサを良く説明すると共に、必要に應じてミサの式文を譯した小葉紙を配布すれば良いであろう。(翻案よりは忠實訳文の方がずうと宜しい)。
 ミサを熱心に黙想しよう。そうすれば、ミサの使徒として、その精神を周の人々にわからせることができるであろう。
  この最初の默想(修業)の結論として、次の二つの決心を勧める。
 第一 黙想を続けてゆく間能動的であれ。ミサが能動的なものであると同じく、心靈修業もまた能動的な展開である。先ず神を見出すために各自が最善を盡くすこと。そしてこの目的に必要、乃至有用な心構えをもつこと、即ち、沈默、潜心、祈禱への集中、心靈修業指導司祭に對するる素直な態度と信頼など・・・・・・
—第二 心靈修業では、各人がバラバラでなく皆と力を合せて努力せよ。ただ一人で心靈修業をする場合は別問題であるが、心靈修業は一般的に言って大勢であずかる集園的なものである。めいめいが他の人々の鑑となり、皆と心を合せて祈り、この協同的な修業にあずからなければならない。
 ミサ中の「生ける者の記憶」の祈りに際しては、「ここに集れる人々」は「信仰と敬虔」を有すると唱えてるし、また他の祈りの箇所では「聖なる民」と云う表現も使われているように、皆のため、その信仰と敬虔と聖性の御恵みとをこい願おう。
心靈修業は、めいめいが何かを得るために、ただし皆と一緒に力を合せて行うものである。

     第二課 祭壇の下の祈り(階段祈禱)の精神
      一、最初の大きな教訓、祈る前に準備せよ
 一、歴史的回顧 ミサ厳密に言えばむしろ「ミサの準備の部」(第一部)は入祭文(入祭誦)において始まる。
 その入祭、および求憐論(キリエ) Kyrie (主あわれみ給え)は、昔祭壇に向う司教の、壯麗な入堂の際に歌われた聖詩集、および連禱の名残りにしか過ぎないのである。
 祭壇の下で唱えられる「天主よ、われ裁きて」の詩篇と告白の祈りとは、聖祭に臨む司祭の個人的準備の締めくくりのようなものである。
 二、ここに示される教訓は次のようである。世俗的な仕事をした直後に、祈りを始めないこと。殊にミサでは(その犠牲は云うまでもなく)その祈りがキリスト御自身のものであるから、前以て潜心して準備することなしには、これを始めてはならないと云うこと。
 潜心するには口禱を以てしても良く
 或いは聖金曜日のように念梼を以てしてもよい(聖金曜日に司祭は祭壇の前に平伏して、だまったまま祈る)
 聖イグナチオはその心霊修業にて、祈りの直接および間接の準備を勧めている。即ち、神の御前に出ること、現場の想設をし(聖イグナチオ霊操の一方法で、観想しようとする事柄を眼前に描くこと)祈りのための物質的條件を處理し、祈禱のハッキリした目的を決定することなど。これらは、神と密接に一致するときに、自分をできるだけ深く、かつ完全に神のうちに沈めるのに役立つのである。
 そして経験に徴しても、初心者は云うまでもなく、相當祈りに馴れた人々の場合でも(神が特別の、無償の聖寵をもって助け合う時は別として)神が人をその個人的な靈の力に打ち委せ給うとき、以上のような心遣いは非常に役に立つのである。

      二、われを裁きて(詩篇四二)
 この詩篇が選ばれたわけは、その一章に「われ天主の祭壇に赴かん」 Introibo ad altare Deiという言葉があるからに相違ない。
 --敗れてイエルサレムから追い出されたイスラエル人が、再び聖殿で祭をあげるためイエルサレムに戻りたいと熱望した歌である。それで、この歌は同時に、
 --謙遜を現わす讃歌である。イスラエル人は罪を犯したため、 流刑も當然の罰だということを知っている。
 --希望の歌でもある。神は慈愛にましますではないか。何とて悲しみに打ち沈んでいるのか。    --喜びの歌でもある。再び聖なる山に神の祭壇を見出す日を夢み、若き日を悦ばせたあの感情を想い起して。
 --これらの渴望は、ミサの始まりに非常に適しているが、同時に、心靈修業を始めるにも不思議なほど適している。即ち、
 --謙遜これは告白の祈りにより更に強調される。
 --遷善の希望。聖殿を再び見、聖櫃に再び近づき、神と約束を結ぶにふさわしい者となるために。
 --喜び。ミサにおいて興えられる聖體の糧と同じように、この靈的糧である心靈修業もまた、神の慈愛から来るものでないであろうか。

      三、告白の祈り。やがて祭壇に昇りつつ唱える「われらより、われらの罪を除き給え」。その
後の「われら罪人なれども」、「わが罪を顧み給わざれ」、「われは不肖にして」

 --罪を犯した被造物(人間)が神の御前で、罪を告白するのは當然である。まして、ミサにあずかるとき、或いは、神の聖寵に満たされた心靈修業に参加するときのような厳肅な瞬間には。
 --この動作は、司祭が先ず行い、次に信者全部が行う(司祭の「告白の祈り」 Confiteorに参会者の「告白の祈り」が應える)心靈修業を指導する人も、この動作をしなければならない。指導司祭といえども、人々を内的潜心に招くにはふさわしくないかも知れないから。また心霊修業の参集者も、その誰彼を問わず、この動作をしなければならない。
 --敢えて云わずとも、われわれは既に、何と多くの不完全と不親切さを持っていることか。
 --されば、願わくは主よ、われらをあわれみ、われらに罪の赦しを給え。 告白の祈りは、準秘蹟であるから、大罪を消さないまでも小罪を消すことができる。
 十字架の聖ヨハネは、悲しみに沈んで己が罪を思っていた。彼の作った有名な詩を、私の場合に用いれば、或いはそれから示唆を得られるかも知れない。

御身より遠く離れ、
われにとり、この生命は
いまはただ死の苦悶
かつてなきほど痛まし死者にほかならず。
死ぬことなきを死すばかり苦しみて
この世に永ららえるわが身を
われ自らあわれむ。
われは、わが死に泣き              
わが生命を歎くほかなし、
この世にて諸々のわが罪が
流謫に我を處する限りは
ああ、わが神よ、わが神よ、いつならん、
われ生く、死ぬことなしと
げに、わが云い得るの日は。
          結  論
「われは罪を犯せしこと告白し奉る……」を以て生きよう。すべての傲慢、退け!
「願わくは、全能の天われらをあわれ・・・・・・」を以て生きよう。隣人の欠点、短所、弱点にたいして寛大であれ。

      第三課 福音と祭壇
次の二つのことが心靈修業に必要である。
 一 聖なる眞理に対する知識。教義上の色々の點を、しっかりと默想するために。
 二  心霊修業が要求する自己放棄を先ず行うために必要な犠牲の精神。 これは、われわれの決心が要求する自己放棄を實行するためにも必要である。
 これら二つのものを得るには、ミサに不可缺なと福音と祭壇の二つを默想するのが最も良いであろう。
      
      一、福音
 一、歷史的回顧-- 聖祭がまさに始まろうとする。聖具室の扉が開くと一人の侍者が出て来て、福音書を持って来る。 この福音書は大抵、祭壇の向う側に、聖櫃と並んで安置されていたのである。一同が敬意を表して起立する。内陣(聖祭の行われる所、至聖所)の入口で一人の副助祭がその福音書を受け取って、祭壇の上に置く。
 今日、讀誦ミサにおいて、侍者がミサ典書を捧持して司祭の先に立って聖具室から出て来るのは、以上の名残りである。
 行列は、聖歌の歌われる中に入って来た。この時の聖歌が後世入祭文となる。先頭には一人の副助祭が香炉を持って進んで来る。その後には七人の侍祭が燭を持って、更に數名の助祭、最後に司祭という順で入って来る  (七人侍祭は「七つの金の燭台の中央を歩むもの」の伴をしているのである。)
 内陣に入ると司祭は、前回のミサの際の聖體で、このミサのときのため留保されたものを、その容器の小箱ごと渡される。
 --司祭は一禮し、ミサに仕える人々に「平和の接吻」を送り、入堂の詩篇が歌われている間(榮誦「願わくは聖父と聖子と聖霊とに榮えあらんことを......」 Gloria Patri によって詩篇が終るまで)静かに祈るのである。
 --次に司祭は祭壇に昇り、祭壇と福音書とに接吻する。侍祭が祭壇の両側に三本ずつ、十字架のうしろに一本と計七本(今日でも司教ミサのときはそうである)蠟燭を据えている間に、司祭は、人々と向い合った奥殿の高座へ赴くのである。祭壇を飾るものは蠟燭だけで、その他の燈火 火や花は祭壇の傍ら、或いはうしろにしか許されなかった。
 福音書の奉讀が、いよいよミサの準備の部のクライマックスと終を告げるのである。十一世紀以来、司祭は先ず低い聲で祭壇に身をかがめ、豫言者イザヤが𦾔約の昔、熾天使によって、燃える炭火でその唇を潔められたと同じように、福音を告ぐべき自分の唇もまた潔められんことを願い奉るのである。
 次に示すような大ミサの式書は、古代の典禮を想い起させる。即ち、
 ――副助祭が朗讀台でただ一人で書簡を朗読している間、福音書を奉讀する役目を持つ助祭は先ず祭壇に赴き、祭主から祝福を受けるために跪く。
 ―――すると、祭壇では香や蠟燭を手にして行列が始まる。香炉を以て撒香し「主に光榮あらんこと
を Gloria tibi Domine (福音奉讀の直前)では、三度十字架の印がされる。これはイエズスの教えは、われわれの知恵を照らし・言葉に靈感を與え・心にしみ込んで心を浄化しなければならないことを示した昔の十字の印のモデルなのである。
 ―――「キリストに讃えあらんことを」 Laus tibi Christe (これは後世になってからである)において、祭主は助祭がもって来たその書物に接吻する(昔は聖祭に奉仕する聖職者も、信者全部これに接吻したのである)。
 ――この間ずっと起立のままだった(王の御前だというのに、誰が座る気になれようか。書簡が副助祭によって朗読されているような時に限り祭主ただ一人が腰を下したのだった)しかも、杖に寄りかかっている人も杖を地面におき、やはり起立してミサにあずかった(司教だけには杖が許されていた。今日、福音奉讀の際に、司教が牧杖を手にしたままでいるのは、このしきたりからきたのである。)
     二、實際に應用して
a 心霊修業の間。 司祭が默想中に指摘してくれた聖書中の教えや眞理を、靈的向上のために用いよう。心靈修業の説教師は人間である以上、神と人との仲介者としては不完全であろうが、とにかく神の御教えを仲介する職權が興えられており、説教で重要なのは聖主の御教えそのものであって、説教師が誰かではない。
 聖主を信じ、教義の力を信じ、司祭の職權を信じよう。司祭は、個人としては、聖體拜領の前に「願わくはわが罪を顧み給わずして、主の聖會の信仰を顧み給え」と祈る。即ち「私は個人としては何の価値もないけれど、母なる聖會に選ばれた司祭としての私を顧み給え」と祈るのである。
 説教を聴くときに、何か自分に役立たせようと思って謹聽するだけでは足りない。更に進んで指導者が述べた省察や指摘した教えなどを内省し、默想し、完全に消化するよう努めなければならない。御言葉または聖書中の出来事の中から、その精神を完全に汲み取り、そして、その中に見つかった教訓は、指導者が話してくれたものであれ、聖霊が内的に私に思い起させたものであ れ、悉く自分に役立たせるよう努めなければならない。
 b 心修業の終了後。
--聖音書を自分は持っているか? イエズス傳は?
--それを読むことがあるか?
--それにつき默想することは?
 誰しも、聖體のほんの一かけらでも失っては大變だと思っている。だが、こと福音に關しては、われわれは、小さいかけらだけでなく大きなかけらまで粗末にしているではないか!
 もしカトリック・アクションの何かの會で福音の註解をするよう依頼されたなら、私はどれほど心をこめてそれに當ることだろう!
 プロテスタントの人々は、聖主の御言葉をわれわれが軽んじていると云って非難する。丁度われわれが、プロテスタントは聖體を無視していると云って非難するように。
 實は、このいずれの糧をも頂かなければならないのである(イミタチオ・クリスチ四巻十一章)
 注意-- 大體において、福音書について述べたことは書簡についても常てはまる。初めは、他の教会の信徒たちから寄せられた便りが讀み上げられた。少したってからは、聖パウロその他の使徒たちの書簡がつづいて朗讀され始めた。それは前回の参詣指定聖堂において朗讀し終った書簡の次の個所から、ミサ中に續いていて朗読するのであった。書簡は次第に、區切られた形で或る節だけが讀まれるようになり、われわれはこの形式に親しんでいるが、どういう經過でそう區切られたかは、ハッキリしない。
 書簡(特にロマ書のように凝ったもの)を一人で勉強することは、むずかしいであろうから、わかりよい書簡から親しむと良い(難解なところは飛ばしても差し支えない)。少くとも、聖體拝領をするときどういう態度であるべきかを克明に教えているコリント書、および、婚姻ミサで読まれる書簡が 載っているエフェゾ書は、のがしてはならない。とにかくボーマンやプラ師の聖パウロ傳などは必讀の書である(Baumann 「真理の使徒」戸塚文卿訳)

     二、祭壇
一、歷史的回顧--祭壇は、昔はただのテーブル、または、殉教者の體をその下に葬った板石でしかなかった。(今日、祭壇石の中に、聖遺物が収められているのは、そこから由来する)。
 八回(荘厳ミサの場合は九回)は司祭は祭壇に接吻する。祭壇はキリストであり、撒香の禮を受ける資格がある(供物や信者にちが撒香を受けるのは、ミサが奉献の部に入ってからのことである)
 昔、司祭は、信者と向い合っていた。ローマの聖ペトロ大聖堂のように、祭壇上には燭臺が輝いているだけだった。 聖體拜領臺もない。拝領するときに、會集は、祭壇そのものであるテーブルに近づいた。
 時代が下って、聖堂を建てるようになると、聖主に祈願するときは東の方を向くという風習ができた。司祭も信者と同じく東の方に向いて祈るようになり、その結果信者に背中を向けるようになった。
 二、應用―われわれの心は一つの祭壇でなければならない。心靈修業に必要な努力、また心靈修業したことを實行に移すときに必要な努力、この二つを共に神に捧げること。
 祭壇は、奉献と犠牲のために出来ているのだから、われわれの心も祭壇である以上、われわれは自己を神に捧げ、神の望み給うことを進んで受け容れる用意がなければならない。
 與えることを嫌う人間は、いつ、どこにも居るものだ。初期キリスト教時代の信者たちは、ミサには、他の色々の供物と共に、ミサに必要なパンと葡萄酒を持参した。三世紀の聖チプリアノは、空手でミサに来るけちんぼうな人々が、聖體を頂く段になると、やはり皆と同じように祭壇に近づいた、ということをほのめかしている。何とずるい人だろう。聖體(エウカリスチア)とは互に與え合うこと(感謝)であるはずなのに。

      第四課 動作と色彩
  一、動 作
一、前述の通り、司祭は私ごとのためにミサを捧げるのではないから、手を合せた静止的な祈りの姿勢をとらない。ミサは大勢で行う集団的な運動であるから、司祭は種々の型の動作をしてみせて、信者にその時々に適した気持ちを起させるのである。
 二、禮拝を示す動作--片ひざを折って跪づく。教会はわれわれを、入口にある聖水で準備させる。 聖堂は神の家であるから、聖殿に入るには、入る時から慎み深く潜心しなければならない。
 三、謙遜を示す動作--或るときは深く、あるときは軽く身を屈める。今にも祭壇に降り給わんとする神に比べれば、われわれは一體何であり得ようか。
 四、嘆願を動作--司祭は両手を開いてあげ、また胸に引き寄せる。あたかも神の祝福をすべて頂こうとするかのように。
 --ミサ中にただ祈るだけでは足らない。司祭にできるだけ協力して、ミサそのものを祈らなければならない。 司祭の動作が表現する色々な感情を、信者が矢つぎ早に起す必要はない。別段のことがなければ、色々の感情のうちの一つを採れば良いであろう。司祭は、公的、共同的、更に社会的な役を演じているのであるから、自由に個人的信心に耽ることは許されていないが、信者は司祭に比べれば自由なのである。
   二、色彩
オランダで大都市に働きかけている或る布教事業団は、子供たちに洗禮の準備を徹底させるために、公要理の進むに従って、それぞれの段階の精神に合った服装または附属品を子供に與て、教えを説くことにしている。即ち、最初は紫色の上衣か帯を與え、紫は教会では悲しみを現わしていること、罪を離れて痛悔し償いをしなければならないことを説く。 次には緑、 これは希望の色であることを教え、同時に宗教的知識を全面的に興える。やがて赤に移ると、聖主の御生涯について詳しく述べ、御受難を特に取り上げて聖主の赤い血を以てなされた救世の玄義を説明する。最後は白、これは信者に必要な純潔の象徴であり、そのまま洗禮式の色ともなる、と。教会も随分昔から、これと同じような事をミサの場合に行って来た。
 八世紀になるまでは、ローマ始め西方諸國には、祭服は存在しなかった(聖職者の服装も定まっていなかった)。
 四世紀から七世紀の頃、聖職者は大抵ローマの富裕な人々の着る服装に従っていた。即ち、通常毛織の茶のプラネタ (のちにカズラと呼ばれる)をまとい、その下に、麻のダルマチカと呼ばれる袖のある上衣を着ていた。なおマップラ(マニブルス(腕布)に変化する)やオラリウム(ストラ(襟垂帯))はアクセサリーに過ぎず、當初は大した意味は なかったが、時を経て決った形をとり、何か意味がつけられるようになった。蔕(チングルム)と肩衣(アミクツス司祭が肩に被る四角い白麻布)は、エジプトの修道者から傳來したらしい。
 このように、司祭は典禮を行うときにも、服装に闘する限り、一般の信者と殆んど異らなかったから、詩人フォルテュナート(六世紀イタリア人)は、メロヴィング朝時代のパリの司教、聖ジェルメーンについて、次のように歌ったのである。「彼の肩を飾るは、石ならず絹ならず、黄金ならず、絆、紫に非ず、ただ全く純粋の信仰のみ」と。
 段々祭服は決った形を取るようになり、それぞれの祝日にそれぞれ異る色を使う習慣が起って 来た。白が、聖主(苦しの玄義を除く))、聖母、證聖者、童貞女たちの祝日に。赤が、聖霊、御苦難の祝日のあるもの、および殉教者たちの祝日に。悲しみの色の紫が、 待降節四旬節に。緑が、聖霊降臨後の日曜に用いられるようになった。
 これら色とりどりの祝日における、變化に富んだ趣は素晴らしい。 一つ一つに十分注意を拂い、周到な準備を以て迎えよう。そのうちに含まれた教訓学びを取ろう。来るべき祝日に前以て備えよう。祝日を迎える度に、教会に對するわれわれの熱心と愛も、一段一段あがらなければならない。毎日ミサで祝う聖人たちのことを覚えよう。少くともその主な聖人たちのことを知らなければならない。 主な聖人の傳記を本棚に備えよう。それに注意を拂わないようでは、何と恥ずかしいことだろう。
 この心霊修業をも、教会の典禮が今要求している精神に合せてゆこう。その時になすべき祈禱のない暇の時には、何かの助けになるなら、適当な聖人伝をひもとこう。しかしながら、読書は決して心霊修業の主要な修業ではない(一般の場合もそうだが、特に心霊修業では、読書は怠惰の一つの表れである)。心霊修行の主な修業とは祈りであり、神を見出すための荒々しさこそ無いけれど、張りつめた努力である。気力なくしては行い得ない。いかにしてわれわれの祈りの効率を高めるか、他のすべてはこの目的に従屬するに過ぎない。
 もし読書するならば、好奇心を満たすためでなく、魂の糧を求めるために讀め。 つまり、走り讀みするより、ジックリ考えて讀むこと。ページを次々とめくるより、眼を止めること。自分の気晴らしにふけるのを戒め、誠意を以て神を探求し続けるよう注意せよ。

      第五課 ミサと死の思索
 
 どのミサも、生ける者と死せる者とのために捧げられる。司祭は「生ける者の記憶」において、この世の人々を記憶し給えと祈るが、聖體を奉挙した後に行われるため一層おごそかな「死せる者の記憶」において、司祭は死せる者、死せる知人、死そのものを思うために、しばし瞑目するのである。
 死者ミサの二つの點を特にここで黙想しよう。 それは、死者ミサの序誦の中の言葉と、「怒りの 日」 Dies Irae の言葉である。

    一、 「生命は変れども、取り去らるることなし」と、死者ミサの序誦は言明する
 魂は不滅であり肉身もまた復活することは、信徑によって既に明らかにされている。死者ミサの序誦のうちでは「生命は変われども、取り去らるることなし」と、力強く響く動詞が二つ(變る、取り去る)あるため、このことは一層ハッキリ断言されている。
 一、二つの死があるのではない--死は外見に過ぎない。勿論最後の息を引き取るときには、霊魂と肉体は分離してしまうが、これはただ一時的の終末であって、肉身こそは墓に埋められ、動くこともできず、そのまま腐ってしまうとは云え、魂の方は滅びることなく、最後の審判の日に、元の肉体と再び一緒になることを待つのである。
 二、生命はただ一つしかない--大罪を持ったままで死んだ人は地獄の永遠の淵に落されるが、そのような霊魂は別として、聖寵に満たされた靈魂は、死後も本質的には何ら變化なく、栄光のうちにその生命が続けられるのである。即ちその霊魂は神を所有するに至るのだが、それは、神と顔と顔とを合わせて光りのうちに相対するのであって、此の世において聖寵に満たされていたときのように、ほの暗く神を持つのではない。この意味において、生命がなくなるのではなく、生命の状態が変るに過ぎない。われわれの霊魂のこの栄光の度合は、臨終に当たって意識の消える瞬間に、われわれが一生の間にどれだけ功を積んでいたか、その総計によって決められる。
 三、--死を望んでもよいであろうか
 a、この世の試練に終止符をうつために死を望むならば、それは卑怯ではないか。捕囚の身とな っていた時代のヘブライ民族の歴史をひもどくと、イスラエルの屈辱を味った多くの豫言者が、これ以上生き延びずに死ぬことを望んでいたことがわかる。
 われわれは、まず忍耐して、いついかにして死ぬか、時と方法との選定を、神に委ねなければならない。
 b、 聖パウロの云う「キリストと共にならんため、われは解かれんことを望む」と同じ意味で、神と共にあらんがために死を望むならば、それは、聖なる望みである。卑怯ではなく、却って愛の證である。サン・ドゥニのカルメル會の病室のドアの上には「もう一歩で天國」と「われは解かれんことを望む」とが書かれているそれは、信仰に人々引寄せ、愛を強める言葉である。
 c、神を観奉るよりは、神のために働くことを好む人もいる。 アビラの聖テレジアは自分の靈魂について語って、こう述べている。
「その靈は、自分の利益を全然考えないので、死も生命も望まず、ただ神の御旨が自分のうちに行われることだけを望んでいる。もし神が生命を延ばすことをお望みならば、生き延びて今まで以上に神に仕えるために、生を選ぶ。ただ一つの靈をして、つかの間でも、神を愛し神を讃美させることができさえすれば、それは、(早く死んで)光榮 (天国)に入る以上のお恵みと思うのである」

      二、「怒りの日」 Dies Irae は、死について二つの觀念を強調する
 一、アダムの原罪の結果としての死
 罪によりて死あり。もしアダムが罪を犯さなかったら、人間は、特殊の、外自然 (préternaturel)の聖寵によって奇蹟的に死を免れることができたのである。しかし原罪を犯したので、その時以来アダムとエワの身には、聖トーマス・アキナスの云うように「死が始った」。死の陰惨な働きを默想することがわれわれにとり有益であるなら、それを默想なさい。例えば、死に最初に襲われた人間であるアベルのことや、われわれの近親の死を默想しなさい。一切は次の言葉に総括されて
 1、 死の後に(腐敗の)怖れがあり
 2、怖れの後に(死體の)悪臭があり
 3、悪臭の後に、うじがあり
  4、うじの後に、灰があり
 5、灰の後には、(人間の體を想わせるようなものは)何もない。「怒りの日、世界を灰に歸せしめん」ローマの或る有名な高位聖職者の墓の上には「ここにあるは、泡と灰のみ」としるしてある。
 二、われわれの個人的過ちによって怖ろしいものとなる死--最後の審判を前以て今から黙想する。
(「怒りの日」の祈禱文は、われわれに、それを強く勧めている「かの日こそ怒りの日なれ・・・・審判者やがて来りまして・・・・・被造物はこれに応えんとし・・・・・今や世は裁かるるなり… 正しき報復の審判者よ……人罪ありて審きを受ん……この決算の日--即ち總決算書を提出する日に)
 私を陥れるものは(積極的)な「罪」ではないかもしれない。私にも、そういう罪のないことを願っている。これほど多くの聖寵に助けられ、特に恵まれた環境にありながら、この私は、最後の審判の日において、爲すべき義務を果さなかった怠りや過失が無数に目の前に現れて来るのではないだろうか。そして私を限りない當惑に陥れるのではないだろうか。例えば、
 a、天賦の才能を用いないでしまって
--怠慢だったり、雑用にまぎれたり、職務を怠ったために、才能を用いないでしまったとか
--不注意だったり、自分の仕事を無秩序にしたために、才能を用いないでしまったとか
 八十七歳で亡くなったフランスの大臣メリーヌ (Méline) (1838年生)は、雄辯な墓碑を刻ませた。
「一度も休まざる者ここに休む」もう一つの墓碑には「休みは、よそにあり」と。
 b 聖寵を無視してしまって
これは明らかに、寛大な心の不足により聖霊の勧めに従わなかったために(私は見た、しかし私はしようと望まなかった)。聖寵に忠實であれ。
 c、気づかずに機會のがしてしまって
 これは、日頃の散慢のため、また自己に對する見張の不足のため、或いは、遊びや仕事に夢中になったために(私は見るための道具を持っていたのに、自分の過ちからも見ずにしまい、多くの聖寵の側を素通りしてしまった。)これらのことを默想することは、罪を黙想するよりもずっと有益である。
一九一七年ルノアール師 (Lenoir) は、サロニックでの心霊修業の際、死を默想して後、次のように書いている。
 「死。野原郎ち戰場、爆撃された塹壕、避難所、或いはこのような野戰病院の一室。色々な苦しみがあるだろうか。多分あるだろう。意識はあるだろうか。ありそうもない。私は聖主のお恵みさえあれば、(死の)準備ができるだろうと信頼している--ただ一つのことが、そのとき氣になるだろう。それは何かと云えば、イエズスの御要求になったほど完全に私が自分の使命を盡くしたか、自分に委ねられた人々の魂を残らず救ったか、という問題である。この使徒としての責任さえなければ、死ぬのはやさしいのだが! しかし人々の魂を救わなければならない、聖體にましますイエズスの御國を地上に齎らすために働かなければならない………イエズスのために私は世の終りまで――たとえ、いかなる苦しみを味うとも--生き延びたい。しかも、またそのイエズスあるがために、死を恐れるのである。なぜなら、自分の使命を十分果せないことを怖れるからである。ここでも、また信頼しなければならない」
 三、それなら、怖れのうちに生きなければならないのであろうか――否、ここでも「怒りの日」の語句が役に立つ。即ち、
 ――神は「慈愛の泉」ではないか、あわれみを以て行動する善き神ではないか、「されど良善なる主よ、いつくしみをもて、われをはからい給え」 イエズスは「慈悲深きイエズス」、即ちこの上なく温厚な救主である。「マリア・マグダレナを赦し、盗人の願いをも容れ沿給いし主」であるから、また救いの道において常に聖寵を與えようと「われを探ねてえ衰え給い十字架を忍びてわが生命を贖い給いし主」であるから、この私を赦し給わぬはずはない。しからば信頼せよ。
ドイツのケーニヒスベルクの捕虜収容所でジャック・リヴィエール (Jacques Rivière) は一九一五年六月十八日に「私はもはや、ただ死の準備をするためにしかこの地上にいない」と書いている。
 私は彼と同じことを云えるし、云わなければならない。
 しかし、この準備は怖れのうちに行われてはいけない。平和のうちにこそ行わるべきである。彼は書き続けている。「私は御父のもとに行くのだ。もし死の瞬間に、萬事をよくなさなかったことが明らかとなれば、主の慈愛にすがろう。これこそ私の望徳誦の目指す所である。神は只で救い給う。 私は、神がすべてをなし給うことを確信しつつ、死の準備に必要なことを一つもなおざりにしたくない。私は神に、私の靈魂をお委せする。今も、死ぬときのためにも」

      實踐的決心
一、死を考えることによって
a 過ぎ去るものであるが故に眞實ならざるものに心を動かされないようにしよう。
b 試煉に負けない力を得よう(「苦しんだものは無意義には過ぎ去らない」聖テレジア)。
c無氣力に打克つための力を得よう。
二、ミサの都度「死せる者の記憶」の所で、私に係りある死者を想い浮かべるだけでなく、私の死をも想い浮かべよう。
三、特に死者のための聖務にあずかっているとき、葬列に加わっているときに、人生のこの重大事を改めて正視せよ。不滅のものに眞の値打があるのである。

      第六課 ミサと痛悔の精神
  一、罪に対する自分の位置
 一、ミサの典禮は二つの場合を想定している。
 極く普通の場合、即ち自分を罪人と認める場合(これは、現在罪の状態にあるという意味ではなく、前に屡々神に背いた者として)。
 祭壇の下で唱える祈りの課で、告白の祈り (Confiteor)につき既に默想したが、(一) 奉献文の次の「聖なる父よ・・・・・・この犠牲(いけにえ)を受け給え。今これをわが無数の罪と主にする侮辱と、怠りとのために捧げ奉る」(二) 「死せる者の記憶」の次に司祭が胸をたたきつつ云う「われら罪人なれども」(三)入祭文のため祭壇に昇りながら云う「われよりわが罪を除き給え」などもまた告白の祈りである。
 義人である場合、即ち自分のうちに過去に特別大きな罪を見出さず、「われは罪なき人々のうちにて手を洗わん.....われは清きに歩めり・・・・ わが足は正しき道に立てり」という言葉(司祭が手を洗いつつ唱える詩篇25)を、文字通り云える人である場合。
 二、もし幸いにして重大な罪を犯さなかったとすれば、この心靈修業の時にする告白に、深い謙遜と共に、喜びに満ちた感謝の色彩を附け加えなければならない。なぜなら、假りに神の助けがなかったら、自分も罪に陥ったであろうし、しかも他人よりも重い罪に陥ったであろうことは確實と認められるから。 
 もし不幸にして前に重大な罪を犯しているとすれば、その悲しむべき時期を謙遜な痛悔を以て回顧しなければならないが、私の告白には、やはり喜の色彩を加えねばならない。ずっと前に私のその罪を赦し給い、そして今日もまたキリストの御血の全能なる流出を以て私を癒やし給う神は、何と慈悲深いことであろう。よく體得された告白の内にひそむ大きな仕合せを味わおう。 聖主が御身を犠牲としてわれわれを再び超自然の聖なる生命に戻すために、洗禮を御制定になりながら、もしも悔悛の秘蹟を御制定になることを忘れ給うたとすれば、それは何と悲しいことだたろう、われわれが一度罪を犯すことによって神聖なる生命を失ったならば、どうなったであろう。もしも最初の秘蹟(洗礼)の次に、これと同じ性質を持ち、われわれを死から生命へ、罪から聖寵の状態へと導くところの、第二の秘蹟(改悛)が制定されていなかったとすれば、多くの靈魂は何と深い悲しみに陥ることだろう。恐らく、完全な痛悔を心に抱けばそれで足りたに違いないが、完全な痛悔は、そのむずかしさを過大視しないまでも、罪人が果して常にこれを手許に持ち合せ得たであろうか。自分で咎めた以前の罪を再び心のなかで咎めた方がよいか否かは、靈的指導者の意見に従いなさい。もしも傲慢に傾いていて心配性の全然ない人であるなら、一番罪深かった時期のことを、もう一度心に咎めるのは、有益であろう。その反対に、少しでも心配性で沈み勝ちで、喜びを保つことがむずかしい人であるなら、思い切って、古い罪の告白はやめて、最後の告白以後犯した罪だけを告白すれば宜しい。なぜなら、霊の最大の寶は内的平和だから。
 三、罪を究明をする場合、無為(なすべきことをせぬこと)によって犯した罪を特に注意せよ。熱心な信者達が 犯しやすい罪は、大抵の場合、してはならないことを行ったという罪ではなく、なさねばならないことを、神に對するゆるがせから、或いは怠慢、勇氣の不足などの理由から、行わないでしまったという罪である。
 四、注意深い靈魂は、大罪だけに氣を配っているのではない。その靈魂は、些細な小罪をも意志をもって完全に承諾することがないようにと努力している。その靈魂は、更に進んで、或る種の勇敢な行爲、或いは愛に満ちた行爲を、神が命じ給わなくとも望み給うことを看て取って、その神の望みに忠實に癒えようと努力している(小罪と、徳の不完全とは別のものである)。
 5、一般的に言って承諾したわけでない行為を、後から気にしてはいけない(そのことは、良心の混乱を避けるためにもまた、人間を迷わそうと狙っている悪魔のおもちゃにならないためにも)。完全に承諾したものは、たとえ小さな不完全さに過ぎぬとせよ、それを重大視しなければならない。それは、道徳的に重大問題だからではなく、神に對する明らさまな、ぶしつけだから。

     二、苦業の効用
 痛悔の精神は内的であるが、もし痛悔が真実なものであれば、単に靈魂の態度にとどまらず、肉体をしいたげることによって外部にも表わされる。なぜなら肉体は霊魂と共同して、神の掟にそむいたのだから。そして、外部に表われた場合には、「苦業」と云う言葉が使われる。
 すべての肉体的苦業について云えることであるが、特に断食の苦業について、四旬節中のミサの序誦は、「主は……肉身の断食を命じて悪徳を抑えしめ、心を揚げしめ、徳と報いとを授け給う」と説いている。
 一、苦業はまず「悪徳を抑える」のに役立つ。われわれは自分のうちに主人ではないので、罪に引っ張られ、五官に負ける傾向がある。悪い情欲から出た悪い力の誘惑に対し、(苦業によって)抵抗力を 餘計身につけている人は、その慾情をくいとめることに馴れており、更に、必要に應じその肉欲をこらしめることもできる。
 苦業は、單に罪からわれわれを護るだけでなく、罪を消滅することにもなる。即ち未来を安全に防ぐ上に有益なだけでなく、更に過去の罪を償う助けともなる。すべて罪は、不義な快楽が引きおこした神に対する不従順であるから、二つの要素を持っている。不従順という要素は痛悔によって赦されたとしても、不義な快楽という要素は別に補いがつけられなければならない。ここに苦業の大きな役割がある。
 二、「心を揚げる」--苦業は、更に、われわれが地上に執着するのを防いでくれる。われわれは、何と、下の方、卑しいもの、或いは少くとも無益なものに目を落して、地平線以上のものを忘れやすいことだろう。苦業は心を離脱させるために、われわれに上の方を眺めさせる。そして、つかの間ではなく、常に、頂上との接觸を失わないように仕向けてくれる。「天使等の聲に、われらの聲を交えしめ給え」われわれはまだ地上にあるのだが、本當の故郷の天國に今からもう生きよう。
 三、「徳と報いとを授ける」……苦業の第三の効用は、徳におけるわれわれの力を更に強め、そしていよいよ豊かな超自然の報いを授けてくれることである。われわれの徳に進むのを邪魔するものは、多くの場合、安楽を求めることである。われわれは偉大な望みを抱きながら、めんどうなために、何もしない。善い行いをするよりも、いつもらくをしたいと云う自然の欲求に、まともに反對することのできる人の方が遙かに自由ではないか!
      
      第七課  ミサと聖性
 罪を避けるだけでは十分でない。聖人となるように努めなければならない。」
 ミサにおいて、
 1 聖性がいかにわれわれの心に呼び起こされ、
 2 諸聖人の面影がいかに記憶に想い出されるかを次に調べよう。
  一、ミサと聖性
 一、「不敬虔な民」(聖ならざる民)という語が、ミサの開始される最初の詩篇(24)に出ている。詩篇作者の考えでは、不敬虔な民とは、選民ユダヤをとりこにした民のことであり、事實異教徒でもあった。
 それと正反対のものに「聖なる民」がある。それは、神の約束と恩寵に恵まれた民のことである。
 二、それとは少し意味こそ違うけれども、われわれも、聖變化の直後に「されば主よ、主の僕なるわれらも、また主の聖なる民も」といわれるところの「聖なる民」の一員である。そして數限りない助力と、眞の光に恵まれているのだから、われわれは、どれほど多くの聖性を欲し、また持ち合さなければならないことだろう。「生ける者の記憶」の祈禱中には「聖なる公教會」という言葉が用いられているが、この言葉は一體何の意味であろうか。
 先ず第一に、公教會の綱領がすべて道徳的向上に置かれている。公教會に属する者は、他の宗教團體の人達に比べれば、その德において優れている。公教會に属する人の絶對的価値は、
――少數とは云え本當の聖人の域に達した人が居り、
――大多数の人が信者にふさわしい真面目な生活を送っていることを見ればわかるであろう。
――福音の欲するところとは明らかに逆な屑のような人々も居るが、このことは、人間性の弱さという見地からすれば、説明されないことはない。
 三、私は果して右の三つのいずれに属しているだろうか。明らかに屑であろうか。願わくは、神のお恵みによって、そうでないように。
 それなら、掟を守るだけに止まっているのだろうか。
 それとも、神に素晴らしい栄光を齎すために、明らかに努力しているだろうか。もし「徳」という言葉が私の場合に使われたとしたら、それは、最も力強い、充実した、真の意味に取ってよいだろうか。

      二、 ミサと諸聖人の記憶
ミサは抽象的に私を聖性へと招くだけでなく、更に進んで聖人達の面影を幾度となく想い起させる。丁度その模範に従うことを促すかのように。
 一、ミサの始めに祭壇の下で唱えられ、また聖體拜領の前にも唱えられる「告白の祈り」に列挙される聖人達を想い起そう。
 二、 次に先ず、祭壇石のうちには聖人の遺物がはめこまれていて、司祭は最初に祭壇に昇ると、祭壇石に接吻しつつ「ここに奉置せる遺物の聖人」並びに「主のすべての諸聖人」によりてわが罪を赦し給えと祈るのである。
 三、司祭が手を洗って洗手のときの詩篇 (25) (Lavabo) を唱えた後、聖三位への祈りに奉献全體を集約するとき、この献物は更に聖母マリア、洗者聖ヨハネは云うまでもなく、聖ペトロ、聖パウロ、そして祭壇の石の下に休む殉教者のみならず、 「すべての聖人」の光榮のためにも、捧げられるのである。聖母と洗者聖ヨハネは、特別な默想に値するから、後に改めて語ることとしょう。
 四、「生ける者の記憶」の後に、聖母の御名に引き続いて、聖人の名の長いリストが始まる―即ち、先ず十二人の使徒の名だが、十二使徒でない聖パウロが聖ペトロと並び上げられているので、聖マチア(裏切り者のユダの代わりに十二使徒にに選ばれた人)の名は自然はぶかれている。これら聖人の名は、例えば待降節の始めの聖アンドレアから十月に祝われる聖シモンと聖タデオに至るまで、典禮の順であげられる。そのあとが十二人の殉教者の名で、頭には五人の教皇、つまり聖ペトロの後繼者三代の聖リノ
聖アナクレト、聖クレメンス、 次に三世紀の二人の教皇聖クシスト二世、聖コルネリオ。その次には、カトリック教会の一致を断乎として守ったアフリカの勇敢なる司教、聖チプリアノ、そしラウレンチオ助祭。終りの五人の殉教者は平信者であって、先ず聖女アナスタジアに教理を教えた傳道士聖クリソゴノ、次に背教者ユリアノ皇帝に斬首された士官で兄弟の聖ヨハネと聖パウロ、最後に二人の醫者聖コスマと聖ダミアノ
 このリストは殉教者しかあげていないから古い初期のものだ、と云われるが、それも一理ある。初期には、殉教者だけが聖人と稱され、公に崇敬される光榮に浴したからである。迫害の時代が過ぎてから司教や苦行者や童貞女らも、その犠牲と痛悔に満ちた生活が殉教に匹敵するものとして、聖人とされるに至った。それは、これらの人達も殉教者と同じく、キリストに対する信仰の真価を証したからである。このように聖人の名のリストが延長されると、地方の幾つかの教会は二、三の名をつけ加えたが、ローマの教会はミサ典文のここ(聖なる通巧によりて)に規定されている「及びすべての聖人」が抱括的な意味なので、更に聖人の名をつけ足す必要を認めなかった。
 五、「われら罪人なれども」の祈りには、洗者ヨハネの名が最初に出て来る。その次には、七名ずつの男女から成る十四名の殉教者の名。 これらは、それぞれ異る生活を営んだ人人であり、丁度われわれに、聖徳なるものは社會的地位とか職業とか専門とかにはかかわりないものであることを教えているかのようである。
 洗者聖ヨハネ預言者の最後の人である。聖ステファノは助祭である。「生ける者の記憶」ではぶかれていた十二使徒の一人聖マチアはここで登場する。聖バルナバは、異教徒に傳道した聖パウロと共に働いた人。聖イグナチオはアンチオキアの司教である。彼は高齢なのでローマの信者らは彼のため減刑運動をしようとしたが、彼はそのような運動などをせぬようにと書簡を送り、ついにローマで殉教して、母なる教会に、その不朽の名をとどめた。聖アレキサンドロは、聖ペトロから五代後の教皇、或いは五月三日に祝われる殉教者である。 聖マルセリノは司祭、聖ペトロは抜魔師で、二人ともディオクレチアノ皇帝の治下で殉教した。既婚者の女性としては、聖ペルペツアと聖フェリチタスという、まだ求道者に過ぎなかった二聖女の名があげられている。聖ペルペツアについては有名な話がある。彼女は闘牛場で牛にはねとばされ、衣をかき乱されて倒れたが、立上って衣服の乱れを整える力を失わず、人々に健気な姿を見せたのだった。聖アガタと聖ルチアは二人ともシチリア島の殉教者である。聖アガタは貴族の娘であったが、知事クィンチアノに妾にされようとして、これを拒絶し、そのため胸を裂かれ、燃える薪の上にころがされ、ついに二四一年、デチオ皇帝治下、カタニア市で死んだ。エトナ火山が爆発したとき、彼女の聖遺物は、何度もその溶岩の流れをせきとめて、町を救ったといわれている。聖ルチアについては、ローマの代官が、洗禮を受けた信者の魂のうちに本當に聖霊が住むか、とあざけりながら尋ねたとき、聖女はハッキリ肯定して、その血を以て證すと答えた、と云われている。聖アグネスは、結婚を申込まれたとき、もう既にイエズス・キリストに身を捧げていたので、自分の夫とすべき方は決っている、と宣言した、うら若い童貞殉教者である。聖セシリアは、親に強いられてヴァレリアノと結婚したが、夫にも自分と同様に童貞を守ることを承諾させた。夫はその導きで、弟のティブルチェと共に洗禮を受けた。聖女は二三〇年頃に、自宅で蒸風呂に閉じ込められ、後に首を切られて殉教した。その體は一五九九年に、切られたときのままの姿で、ローマで見出された。手はにぎられていたが、三本の指だけが伸ばされていて、そこに三位一體の教義が表明されていた。聖人の名のリストは、アキレヤの殉教者、寡婦アナスタジアで終っている。彼女は、コンスタンチノ皇帝の姉妹でやはりアナスタジアという名の人から尊敬を受けたために有名になった。ディオクレチアノ皇帝治下の十二月二十五日に殉教したので、クリスマスの第二のミサでその名が稱えられる。ローマの中心地、皇帝の住んでいたパラチノ宮殿の附近に、アナスタジアのため聖堂が建てられ、宮廷人は、容易にそこにお詣りしていた。
   
      結  論
 一、こまかい手引き ミサで祝うそれぞれの聖人についてミサ典書に簡単な解説がのっていれば、それで少くとも各聖人の略歴だけはわかるであろう。ミサ典文に列挙される聖人については、略歴を記したミサ典書があるから、それを参考にするのもよい。
 二、殉教者始め、多くの聖人聖女により聖主がこのように仕えられているのを、喜びなさい。自分もまたこの奉仕者のグループに属しているだろうか。
 三、心靈修業を機会に、神がいかなる種類の聖徳を私に要求し給うかをよく調べよう。すべての德がすべての人に要求されるのでないが、一つの事だけがハッキリ云える。即ち、神は、或る聖人に要求し給うたことをそのまま私に要求し給わないとはいえ、私が現在聖主に捧げているよりも、更に大きく更に良い德を望み給うていることは明らかである。
 四、もし特に敬愛する聖人があれば、その執成しを願おう。 パリ教区の保護の聖人たちのための序誦は、諸聖人の崇敬には次の三つの目的があると述べている。
 a 聖人たちの生涯から模範を得ること、
  b 聖人たちと超自然的に結ばれること、
  c 聖人たちの成しにより助けを得られること。
 例として「小さき花の聖テレジア」を想い浮かべなさい。いつも聖人傅、或いはキリスト教的偉人傅を読むように。傑作は澤山あるから広い範圍で自由に選べる。
 五、自分もまた「聖なる民」「汝の聖なる教会」に属していることを忘れないように。そして自分が、これほど勇気のいる勤めを立派に果せるように、教會が「人を聖ならしめ給う御者」をも叫び奉ることを、われわれは神に良く願おう。屢々次の奉献の祈りを唱えよう。「人を聖ならしめ給う全能なる御者よ、來り給え、おお來り給え。われを照らし、われを支え、われを導き給え。われは身を献げ奉る。されど實體をも變化せしむるために、願わくは助け給え」
      
      第八課 心を擧げよ (Sursum corda)
   一、心を擧げよ(スルスム・コルダ Sursum corda)
 序誦の始めに、司祭は侍者と共に、非常に感動的な對話をする。その對話のことは、三世紀の聖チプリアノも述べており、聖アウグスチノはハッキリ「スルスム・コルダ(心を挙げよ)と云うと皆がハベムス・アド・ドミヌム(Habemus ad Dominum)と答える、事實われらの心は神にひきつけられている」と述べているから、初代からあったものらしい。
 信心生活において( 信心生活こそ真の生活である)われわれは、たゆまず努力を強めなければならない。なぜなら余りにも早く落胆しやすく、失望しがちであるから。
 その落胆とは、次の事柄から来るであろう。
 一、われわれの戦いは必ずや精神を疲らせるということ。神へ昇る道には終りがない。悪い肉慾はに襲い來たり、悪魔は決してその働きをやめない。われわれは日々の自己糺明、三日間の祈禱(三日黙禱)、心靈修業などをなす度に、同じような傾向、同じような缺點のある自己を見出す。それでは目的地に達し得ぬか。決心はいつも守り得ず、発奮しても貫けず、小さな誘惑や安樂の前にぐらぐらし、日々の単調さから来る倦怠感や、職務の要求にせかされる疲労感にも負けやすい。ま周圏の者にする愛徳の実行を怠り、色々の性格の人に辛抱できず、信心業の無味乾燥さにすぐ負けてしまう。
 これを注意するために心靈修業をよく利用しよう。一方、次のようにも考えられる。
 a 私の決心が余り高過ぎるのではないか。向上を期するために決心は高くなければならないが、高過ぎると早く疲れ、實行出來ずにしまう。この點も心靈修業のとき再検討しよう。始めから逃げ腰ではいけないが、経験を十分活かして、闘争と成功に必要な、具体的條件を慎重に考慮しょう。
 b 私のやり方では負擔過重なのかも知れない。ここでもまた再検討して平均させよう。道は遠いのだから、重い荷物におしつぶされてしまわないように。英雄主義の犠牲になってはつまらない。大き過ぎる決心を立てて必然的に消耗するよりも、いつも變らない中庸の決心をした方がよい。「靴屋よ、よその事まで口出すな」という格言があるように、中庸もまた、用心の徳に属している。
 c 或いは悪魔の誘惑が強まっているのかも知れない。人間の敵、悪魔は、われわれを、あやまちへ陥れることができないとなると、われわれを失望へといざなう。時々信心が非常にわれわれを疲らせ、愛德が重荷に感ぜられても(特に普段から緊張した努力が要求される場合)、また、職責が耐えがたいものに感ぜられても(種々の仕事は非常に勇気を要するし、単調さはすぐ疲れを招く)、それに驚いてはならない。それは當り前のことである。この地上は天國でないから、七轉八起の意氣で起ち上らなければならない。或る人は秘訣を見出したと云ったが、その秘訣は何かと云えば、毎朝「今日こそ始めるのだ」と繰り返すことである。
 二、神の行動が神秘的で、人を迷わすということ。
 A われわれに對して、すべてが、われわれを試みるために存立しているように見える。 煉獄援助修道會の創立者たる「御攝理のマリア童貞」は「私は五つのことを怖れていました。即ち、肉身の者と離れること、修道會を創立するようになること、修道女たちの生活になくてならない物が缺乏すること、借金を負うこと、癌におかされること(を恐れていました)。ところがその五つとも私の身の上に起りました」と云っているが、われわれも、多かれ少なかれ、同じような目に逢う。
 次の事をよく注意しよう。
 a 御攝理が奇蹟を行わないのは、
 われわれの不注意を、たしなめるため、
 人間が気儘に解放した悪を、取締るため、
 (予定通りに次々と事件を起こさせるのであるから)早く時を過ぎ去らせるため、である。
 b けれども、われわれの身に起るすべての事に、神の慈愛が含まれている。
 神は父である。
 神が時たま事件によってわれわれを罰することがあっても(それも又慈愛の現れだが)神は、特に、苦しい事件によってわれわれが信仰、忍耐、愛德、信頼のような、優れた德に進むことを望み給うのである。われわれは人間的幸福の見地から、すべてを判断したがるが、それが本當の價値早見表であり得ようか。「逆境を悲しんではならない。なぜなら、神がそこからいかなる善を引き出すことを望み給うか、わからないから」と、十字架の聖ヨハネは云っている。そして神御自身もイザヤによって、その道はわれわれの道とは違う(55-8)と云っている。これは事實であって、これを証するテキストは山ほどある。「汝のすべての道は慈愛と真理なり」(トビア3-5)。「主のあらゆる道は慈愛と眞理なり」(詩篇25)
 われわれが神の道を理解していることを、いかなる方法で示したら良いであろうか。
 a われわれの貧しさを謙遜に告白することによって、
  b 神の賢明さと慈愛に対してし全面的な信頼を寄せることによって。「主よ、御身はすべてを知り、すべてを爲し得給う。そしてわれを愛し給う」(大聖テレジア)。「聖徒と召されたる人々には、萬事共に働きてそのために益らざるはなし」(ロマ8-28)。またセルティヤンジュ師 (Sertillanges)の美しい次の言葉「色々の出来事は即ち神である。出来事は神の動作、試み、勧め、或は神の援助か忠告である。その名が何であろうと、その姓は神である。それ故、正しく物を見るには、事件の方より神の方に重きを置かなければならない。 宇宙は、半ば混沌と見えるが、一つの霊に充たされており、その動く宇宙の霊こそ御摂理である。出来事には、肉體があり、それは出来事をして、敵意ある向う見ずなもののように見えさせるが、その反面、出来事には靈があり、それは神が興え給うた方向づけにほかならず、その方向は道徳の要求に沿っている。藝術家は或る傑作を造るためには、その魂を筆に移す。運命の藝術家である神も、われわれの生命を造るために、神の霊をこの世の出来事に移すのである。出来事は、われわれのため役立てばよいのであって、われわれをおだてる必要はない」
 B 神御自身に對して。神は御自分の御國に反して働いているように見える、神は、神に反する人々に却って良い採点をしているように見えると云った人もいる。
 どうしたらよいであろうか。
 a われわれの信仰を再び鍛えよう。
 主は御受難のことを豫言しつつ使徒たちに宣うた。「これ汝らがつまずかずして信ぜんがためなり」
 「世においては汝ら難(なやみ)に遇わん、されど頼もしかれ、われは世に勝てり」(ヨハネ16-33)
 ――そして聖パウロも「われは弱き時においてこそ強し」と云った(コリン後12- 10)
 ――ブルダルー師 (Bourdaloue)(1632-1704)も云う。「信仰の眞價は、望みを持てないときに、なお希望させることである」と。
 b 何もかもひっくるめて悪いと判断してはならない。キリストに對して敵意を含んでいるように見えるもののうちから、その實、神の意に叶いただその周園の混沌たる要素により變じられ、ゆがめられているものを、良く識別しよう。
 c われわれの魂と、向上の方法とを、更によく調和させよ。
 福音的方法
 教育の方法
 d 勇氣を強めよ。戦闘の教會は最後まで戦うのだから、力強い魂が必要である。われわれは、神の御國が平穏のときに来ると思い込みやすい。

     二、われらの心主を仰ぐ
     (ハベムス・アド・ドミヌム Habemus ad Dominum)
これは、われわれのいわゆる「非現實的な祈り」(即ち、実際感じているところとは縁もゆかりもない、口先だけの形式的な祈り)になってはいないだろうか。それとも本當に、われわれの心は常に主に向って擧げられているのだろうか。
 一、この祈りは消極的には、自分のことは考えにないということ、即ち、神の見地から事物を見るということを想定するであろう。
 試煉か? 「われなるぞ、畏るることなかれ」(ルカ24-36)
 世の批評か? 「さいわいなるかな、義のため迫害を忍ぶ人」(マテオ5-10)
 肉體的苦痛か? 「われ想うに、この世の苦しみは、われらが身の上に顯るべき将来の光榮に及ぶべきものに非ず」(ロマ8-18)
 地上の財物の缺乏か? 「神は汝らのためおもんばかり給う」(ぺトロ前5-7)
 明日の心配か? 「日用のパンを」「その日はその日の勞苦にて足れり」「明日はどうなるであろう。私の心のするままに。明後日以後は。私の心のするままに」 (Alexis Hanlionの日記からから)
 二、積極的には、いかなるときでも十分にそして本當に、超自然的であるということを想定するであろう。
 われわれが理性のみを以て物を判断したとすれば、それだけでも大したことであるが、理性のみで物を判断しないように。われわれは、信仰を持っているから、理性より常に神の見地の方に重きを置かなければならない。
私の行動の意向、私の輿える模範、私がする批判などを、よく検討しよう。それらは本當にミサの都度「われらの心主を仰ぐ」と大胆に表明する信者にふさわしいものであるかどうか。